ブラスの想い出⑦(だっけ?)

夏休み終わりから、いよいよマーチングの大会に向けての練習が始まった。
スポーツセンターでの練習が週に2,3回あり、そこに私も役員として毎回顔を出すようになった。
夜にかけての練習のため、長女が帰宅する頃に私が不在なことが多く、最初は不満げな長女でした。(超さびしんぼ)私自信も、こんな風に他の家族を犠牲にしてまでサポートしなくてはならないのだろうか、と実は少し疑問に感じてた。

でも、他の父兄の中には、小学生の弟妹を家に留守番させてブラスのサポートをしてくださってる方もいて(特に衣装係りの方は本当に衣装合わせ、直しなど大忙しだった。なんたって100人近くいたから)、小学生が我慢してるのに「うちで高校生の娘が待ってるので私は保護者会の仕事を抜けます」とは言えない。そう長女に説明すると、まぁ、自分より小さい子が我慢してるなら、と何も言わなくなった。

保護者会の仕事は差し入れや楽器運搬、あと指導に来てくださった先生への差し入れなどが主で(その他にもチケットの手配、配布もかなり大変そうだった)、基本的に役員の私は日々の当番からは外してもらってることが多かったが、やはり役員なので毎回顔をださなきゃねという他の役員さんの意見にうなづくしかなかった。

最初は仕方なく顔を出してたのですが、顔を出しているうちに、他の保護者の方とも顔見知りになり、次第に自分もブラスの応援に嵌るようになった。

つまり楽しかった。

子供たちはとにかく、全国大会で金賞を獲ることしか頭になく、本当にみんなが一生懸命練習していた。風紀も厳しい部活だったから、サポートしてる父兄やスポーツセンターの人への態度も大変気持ちがいいもので、わが子をこんな環境で過ごさせることができて感謝しなきゃなぁと思った。家庭でのしつけだけでは得られないものだから。

先生は本当に本当にお忙しそうだった。普通に学校の先生もやってるのに、時間外にこんなにどっぷりブラスのために身を費やし、ご家族はどう思ってみえるんだろう。私が奥さんだったら「あんた人の子ばっかり見てないで、自分の子も見てよ!!」と文句の一つや二つも(いや三つ四つ)出るだろう。

指導中こそ、厳しいし、時には感情も高ぶって支離滅裂なことも口走られることもあったそうだが(次女談)一旦練習が終わればいつものささやくような穏やかな話し方に戻る先生の切り替えのよさに毎回感動。

地区大会→東海大会→全国大会へと進みます。

2種類の大会に参加してたので、計6回の大会に出場することに。

毎回大会前には、氏神さまのところへお参りし、大会が終わればお礼参り。

9月から12月までは子供と一緒に熱い日々を送っていました。