久しぶりのジェネジャン

を見ていたら、疲れた。普段使わない部分の脳を使うから。

討論番組は嫌いではないのだけど、見るといっつも疲れる。昨日は久しぶりだったので、特に最初は「こ、こんな激しい番組だったかな…。」と戸惑った。

番組の都合上、視聴率がとれそうなシーンばっかりピックアップされてる(しかも繰り返し流してる)気がして、正直素直に受け止められない自分がいます。

バラエティの風間君が少し苦手な私ですが、実はジェネジャンの風間君は割と好きです。いい意見を言うからではなく、風間君が本当にその時思っている事を言っていて、例えそれが青臭かったり、「ん?」という意見であったとしても、あういう討論番組の中では一つの意見として価値があると私は思うからです。

今回のテーマ「命」については、正直今回の番組ではあんまり考えることがなかったかなぁ。話がぽんぽん飛んじゃって、深く考える間も無かったし。「命」は大切だと普通に考えている私は大切に思えない人の事がもっと知りたかったけど。

一番考えちゃったのは「薄っぺら」ってそんなにいけない事なのかなぁって事です。

「薄っぺら」じゃだめなのかなぁ。人間、結構自分が生きていくのが精一杯で人との付き合いってどこかである程度の線引きしているもんなんじゃないかなぁ。線引きの程度は個人差があって、宇梶さんとふかわさんにだって違いはあって当然な気がするのだけれど。

ペトロさんの言うことも分からないわけじゃない。私も子供の頃、ペットの鳥が死んじゃったとき悲しくって学校行っても泣いていた。経験がないからこの悲しみは一生続くと思えて,本当に胸も押しつぶされそうだった。なのに、ショックそうではあったけど、泣かずに生活している母や兄が不思議でうらやましい反面「薄情だなぁ。」と腹立たしくも思ってた。

でも、自分も次第に大人になると、いちいち悲しみに振り回されていては自分が生きていけないやと思って、どこかでコントロールし、忘れるように心がけているような気がする。それじゃ、だめなのかなぁ。薄情で、「命」を大切に思ってると語ってはいけないのかなぁ。

自分はそんな考え方だから「薄っぺらい」事が許せない、真面目なペトロさんを不器用と語った宇梶さんの言葉には思わず「たしかに!」とうなづいてしまった。

ペトロさんの意見は実は言葉だけ聞けば結構正しいなと思うことが多い。彼のブログも読んだことがあるのですが、文章で読んだほうが尚理路整然と述べられていて(感情的でなく)説得力があったりする。物事を捉える視点も私には斬新で面白いと思うこともしばしば。でも、あの番組ではなんだか好戦的に話す態度ばかりが浮き出て、せっかくの意見が伝わりにくくなってるように思います。

ただ昨日の番組を見ていて「うそはついてないのだろうな」というのは感じたかな。

最後に宇梶さんがまとめているのを見て、「お、良いこと言うな。」と思っていたら、隣で見ていた主人はあまりにも綺麗にまとめられすぎて「これは台本があるんだろうな。」とつぶやいた。どうなんだろう…。

最後の風間君のコメントは彼には珍しく結構感情的で、なんか驚いてしまいました。

結果的には色々考えるきっかけにはなったかな。

何故か討論番組の後は雄弁になる妻につきあって,主人も話すので、我が家のリビングでは二人だけのプチ・ジェネジャンが繰り広げられました。ま、穏やかにだけどね。