修行が足りん

今日は、長女のソフトの試合の車出しで、岡崎市まで行って来ました。
私は決して車の運転に長けているわけではないので、他所様のお子様を乗せて遠出するのは控えたほうがいいと思うのですが、毎回娘が持ちかえってくる「今度の週末の車だしできますか?」という協力依頼の紙を見ると、「できる」に○をつけてしまう。
最初は一応「できる」にうっておけば、交代でまわってくるかなぁと思っていたのだが、どうも「できる」に○をつける人がほとんどいないようで、毎回「よろしくお願いします。」という電話がキャプテンの子のお母さんからかかってくる。

実は、うちの娘は背番号が全選手の中で1番最後の番号で、多分これは、つまりソフト部で1番へたっぴってことなんです。練習試合ではたまに代打でだしてもらうことはあるようですが、大抵の試合では出場する事はありません。

私は基本的にソフトの試合を見るのは好きなのですが、最近自分の娘が出ない試合を1日中見ているのが辛くなってしまう時があります。
娘自身は腐る事もなく、一生懸命自分なりの目標を作って、応援・スコアブック・バット引き・グランド整備などをしているので、母親である私は黙ってそれを見守ってあげなくてはと、いっつも、いっつも思ってはいるのですが、人間ができてない私は、やっぱり少し辛くなってしまうのです。選手の子の親が車出ししてくれればいいのにーと全くの妬みでしかない不満すら心に持ってしまって自分で自分がイヤだなぁ。

長女が試合に出なくたって、試合には行くのだから、誰かの車にうちの子も乗せてもらう事を思えば、車出しはできる範囲でするべきなんだ。

わかっちゃいるけど、今日はいつも以上の遠出で緊張したことも手伝って、何だか帰ってきたらどっと疲れちゃった。ほんと、こんな風に思う事自体娘に失礼だよなぁ。
シッカリシテヨ、オカーサン!
明日からは、また笑って応援しよう。おしっ!